『生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊』図録へ執筆しました。


 個人的なことから始めて申し訳ないが、僕は2012年に『SF挿絵画家の時代』(本の雑誌社)という本を上梓させいただいた。
 これは、小松崎茂や武部本一郎、加藤直之など、SF小説を彩ってきた挿絵画家たちを列伝で紹介した一冊。元々は〈SFマガジン〉で連載したものをまとめたもので、71名の挿絵画家を紹介している。もちろん、生賴範義先生のことも書かせていただいた。
 ただし、連載時には生賴範義先生は取り上げてはいない。もちろん、紹介はしたかったのだが、そのころは連絡先もわからなかったし、宮崎にお住まいということもあり、取材を断念していたのだ。
 そんなことから『SF挿絵画家の時代』ではボーナストラックという名目でごくごく簡単にしか紹介させていただていない。そのことは僕にとって完全燃焼できなかった燻りとなって残っていた。なので、今回、こうして生賴範義先生のことを書かせていただく機会をいただき、そうとう力が入っている、という次第なのだ。
 とはいえ、僕は絵を専門に学んできたわけでも自分で描いているわけでもない。生賴範義先生と仕事をさせて頂いたこともない。なので、単なるいち生頼ファン(しかも、SF方面のみに偏っている)という立場で生賴範義先生を語ってみたいと思う。


という文章は『生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊 1966-1984』の図録に寄稿した「もし、生賴範義がいなかったらきっと日本のSFアートは薄っぺらいものになっていたのに違いない。」という長ったらしいタイトルの原稿でボツにした部分。
まったく個人的なことしか書いていないから、ボツにして当然なんだけれど、僕にしてはどうしてもこの【言い訳】から書きはじめたかったのだ。

事の起こりは、僕が〈日本経済新聞〉に連載した『未来の風景・SFアート十選』で、生賴範義先生を「幻魔大戦」をテーマに紹介させていただた文章を、みやざきアートセンターの石田さんがたまたま目にしてくれていて、その石田さんが上京した折、東京創元社のK浜さんと飲んでる時にその話が出て、K浜さんが「大橋なら知ってるよ」ということで急遽、その場から僕に電話してくれて、図録に執筆させていただくという名誉ある依頼をいただいた、というのが流れ。なんでも仕事はやっておくものだな~、と思った。

正式な依頼をメールでいただいたのが2月27日、見開き2ページ3300字位というオーダー。締切は3月中旬(目安)。4月中旬に印刷所に入稿のスケジュールだった。なのに原稿を送信したのは4月6日という、ていたらく。まったくもって申し訳なく面目ない。最近、とみに執筆スピードが落ちている。

生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊 1966-1984
2015年7月9日(木)~8月30日(日)
みやざきアートセンター
http://ohrai.net/
work-2015-01-02
※残念ながら販売終了。